観念論 (Magritte・2)

2025年02月05日/ やさしい哲学

観念論 (Magritte・2)























 『 ピレネーの城 』  ルネ・マグリット  1959年


観念論 (Magritte・2)「クジャクのダンス、誰が見た?」というタイトルのドラマ (漫画原作) をご存じだろうか?
その意味は、誰も見ていなかったとしても、犯した罪からは逃れられない、ということらしい。

     本来は、インド哲学の1節で「深い森の中でクジャクが求愛ダンスをしているのを、誰も見て
     いなかったとしたら、それは存在するといえるのか?」という意味だ。

     この命題は深く、現代物理学の量子論における観測者問題にも繋がる、大きな謎である。
     長くなりそうなので、「続きを読む」以降に、ちょっと書いてみようと思います。


観念論 (Magritte・2)













 ルネ・マグリット (1898 - 1967) シュルレアリスムの画家
 哲学、アート、広告などに、多大な影響を与えた。 (過去記事参照)

観念論 (Magritte・2)
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 『 視聴室 』 ポール・マッカートニーが所有し、ビートルズが興したアップルレコードのロゴとなる。

観念論 (Magritte・2)





観念論 (Magritte・2)
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 『 デカルコマニー 』 (※意味 : 転写する)  ルネ・マグリット 1966年


同様の主張をした西洋哲学者に、ジョージ・バークリー (1685年-1753年) がいる。
彼の問いはこうだ。 「深い森の中で1本の木が倒れたとき、その音は存在するのか?」

ここではあくまで、「誰も認識していない事柄は、本当に実在するのか?」、という意味でのみ論じる。
実際問題として、事後的に、倒れた木をある人が見つけ、昨晩倒れたことが推測されたとしても、だ。

バークリーは、「ある瞬間に木が倒れたという事実」は、存在しないと考えた。


観念論 (Magritte・2)
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 『 恋人たち 』 ルネ・マグリット 1928年


「存在するとは、知覚されることである」、という観念論を彼は唱えた。
物事が存在するためには、誰かがそれを見たり、聞いたりしていなければならない、という意味だ。

それが正しければ、あなたが一人でこの画面を見ているとして、あなたの背後には何も存在しない。
振り向けば、背後世界は存在するが、そのときには、この画面は存在していない、ということになる。

VRゴーグルを着けた状態の、「ヴァーチャル・リアリティ」そのもの、といってよいのかもしれない。
もちろん、VRゴーグルを外せば現実世界がある前提だが、バークリーの主張には、それがない。

そんなことはありえないと、多くの人が考えるだろう。


観念論 (Magritte・2)
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 『 偽りの鏡 』 ルネ・マグリット 1928年


では、誰も見ていない世界を含む、細部までの全体像 (完全情報) を把握する者は存在するのか?
バークリーは聖職者でもあったので、それは神である、というのが彼の主張だが、今は置いておこう。

観念論は、近代科学との相性が悪く、主流ではありえなかったが、300年の時を経て復権を果たす。
量子論との親和性が見られることによって、なのだが、とりあえず下記の2分間の動画を見てほしい。


※ 原子や、それより小さい素粒子は「量子」と呼ばれ、粒子のようにも、波のようにも振る舞う。
   私たちの肉体を含めた物質も、当然、その最小単位である素粒子で構成されている。

素粒子の「二重スリット実験」は、量子論の最も基本となるものなので、憶えておいてほしい。
物理現象にも関わらず、観測者 (人間) の存在によって、物質の振る舞いが変化する現象のこと。

実験によって現象そのものは確認され、それを応用、実用化されているが、原因はわかっていない。
ミクロの世界の現象ではあるが、すべての物質は、そのミクロのもの (素粒子) から成り立っている。


観念論 (Magritte・2)






















 『 複製禁止 』 ルネ・マグリット 1937年


つまり、小学校の自習中の教室 (子供たち) に、怖い先生 (観測者) がいるかどうか、みたいな話。
ちなみに、「時間や空間を超える」という現象も、量子 (ミクロ) の世界では、すでに観測されている。

解釈によっては、オカルト等、何と結びつけることも可能なので、注意が必要だと指摘しておきたい。
確定しているのは、同じことが起こるはずの実験を観測するかしないかで、結果が変わることだけだ。


観念論 (Magritte・2)
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 『 無限の感謝 』 ルネ・マグリット 1963年


このありえない現象によって、バークリーの観念論は、「ありえる」現象になった、ということになる。
観念論とは、知覚されるものは存在するが、知覚されないものは存在しない、という定義だった。

「ありえる」ことは当然、実在を意味しないが、「観念論」には、不思議な求心力のようなものがある。
ただ、見えない世界のことよりも、見えているのに見ていない世界が、まだまだ残されている。

いわゆる「盲点」だが、人間の脳は、情報処理を簡素化するために、そうなるように設計されている。
そこに自覚的であることで、障害者が別の感覚を研ぎ澄ますように、ふっと見えてくるものがある。











観念論 (Magritte・2)





















 『 作品名作者不明 』 1888年にドイツの葉書に描かれたもの
 いわゆる騙し絵で、2通りの見方ができるのだが、わかるだろうか?














『 Pachelbel‘s Canon 』 上原ひろみ  Live in Jazz in Marciac 2010

観念論 (Magritte・2)今回の記事はちょっと重めになっちゃったので、これを聴いてから現実世界に戻ってください。
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Posted by candyball at 22:00│Comments(0)
 
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