沖永良部島的風景②
2008年04月28日/ 日々の想い
はいっ、こちら草花の綿毛が太陽に照らされ光りながら乱舞する様が、南国に降り注ぐ雪のように見える、「花の島」沖永良部よりお届けします、どもっ

沖永良部特産品であるテッポウユリが、島内全域でほぼ満開を迎えています …伊江島も有名ですが

日本全国に出荷されてますので、記事をご覧の方々の地域にも、そろそろ届けられるのかもしれません

こちらも特産品の、グラジオラスです …すっかり野生化しまして、最近は思わぬ所で見かけます

花びらを引っ張るとスポッと抜けまして、花の根元から蜜が滴り、お尻から吸いつくと、とっても甘~い

正直ぼく自身は、派手な花にあまり興味がないので、もっぱらチュウチュウ専門でござんす

あとは、フリージアなんて花も、島内でさかんに栽培されております、はい

食いしん坊なぼくとしては、写真のクワの実をエンドレスに千切って食べるのが、地味な楽しみです

そういえばドリカムの歌に、「コクワの実、また採ってね~」(晴れたらいいね)、なんて歌詞がありました

というわけで、今日は沖永良部島のお花情報をお届けしてみました~ …もしかして興味ない

追伸 : 撮影中、てんとう虫がほっぺに止まったのを放置してたら、いきなり噛まれた …チーン。

世界と社会とぼく②
2008年04月24日/ やさしい哲学

「SLUM DANK」で有名な井上雄彦が、現在も連載を続けている2つのマンガを知っているだろうか

ひとつは「リアル」で、簡単にいうと身障者の「車椅子バスケットボール」の話である

ある日突然、それぞれの事情で身障者になった若者達が、もがき苦しみながら、「熱く」生きようとする

「SLAM DUNK」の流れを組むが、身障者であるが故に、社会の中で自らを見失い、再生してゆくドラマ

現在、単行本7巻まで発売されており、ぼくも当然、愛読している数少ないマンガのひとつである

もうひとつは「バガボンド」で、こちらは剣豪「宮本武蔵」の話 …バガボンドとは「放浪者」を意味する

つまり「社会」をとっくに逸脱した武芸者の、生死を賭けた剣の戦いを通した「世界」への志向を描く

現在単行本27巻まで発売されており、いよいよ佐々木小次郎との戦いを迎えようとしているところだ

連載途中からはペンではなく、筆で描かれており、絵画としての芸術的な評価も高い作品である

このふたつが、同時並行で連載されていることは非常に興味深い、とぼくは思う

なぜなら、現代日本に生きる私たちは、「社会」と「世界」を並行して生きるのが理想だと思うからだ

「リアル」もしくは「SLAM DUNK」的な世界観だけで充足する人間は、ぼくのブログなど見ないだろう

人間が生きるということは、「社会」的なことだけでは片手落ちだと理解できる人は、どれだけいるのか

井上雄彦という男は、この両作品を同時進行することで、バランスを取ろうとしているのだと思う

哲学的な境地、そしてそれを「体感」できるレベルまでを、驚くべきことに彼は、「知っている」、はずだ

武蔵のライバル佐々木小次郎を「聾唖者」(耳が不自由な故に言葉を話せない人)として描いている

これは、小次郎が言語を持たないことを意味する、が故に、世界との合一を果たしていることを意味する

一方、武蔵は言語を持つが故に、その限界を知り、それを経由して世界との合一に至ろうとするのだ

死と隣り合わせどころか、死と紙一重の戦いを経て、武蔵もまた、その境地に踏み込みつつある

まあ説明はこのへんにして、ぼくのブログに興味がある人は、ぜひ何らかの形で読んでほしいと思う

両作品ともに、人生の中で何度か読み返したい、と確実に思える作品であることは、ぼくが保証します
かわいいコラボ♪②
2008年04月23日/ 日々の想い
久し振りにやってまいりました、「かわいいコラボ♪」のコーナーです

このコーナーの趣旨は、ひとことでいうと、ありえないところで種子が発芽したよと、そんだけです、はい

ちなみにこちらが前回記事です
http://candyball.ti-da.net/e1794783.htmlまあ、ロマンチック過ぎるってことでヤラセ疑惑が浮上し、不必要に盛り上がった記事です

今回も、先日車の給油をしようと給油口の開放レバーを見ると、双葉さんが
…だからなに
車の中に種子が飛んでくるのはわかるんだけど、それが発芽するってのがね、不思議だなと、以上ッス

別にかわいくはないぞってツッコミだけは、どうかご容赦のほど、ゴニョゴニョ…

ぶっちゃけ今日は記事的に弱いので、「続きを読む」から谷川さんの詩をお楽しみくださいませ~
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ひまなので③
2008年04月20日/ 日々の想い
最近平日に晴れ、土日は雨という「魔のサイクル」にハマる沖永良部島ですが、今週は土日ともに晴れ

これは久し振りのお出かけ日和とばかりに、車をとばして「笠石海浜公園」に出撃してみたわけです


公園にはビーチがあったり、お花畑があったりするわけですが、ぼくの目玉は写真の「芝生スライダー」

センターの部分にはプラスチックの網が埋め込んであり、段ボールなんぞを使って滑り降りるわけです

まあ通常のチャイルド達は、ソリのようにお尻で滑るわけで、実際、それでもかなりのスピードが出ます

そこは飴玉先生、「オレ様を誰だと思ってる?」と呟き、定番の「立ち滑り」に挑む決意を固めました

はいっ、こちら当ブログに久々登場の、「candyball」、またの名を「飴玉先生」こと、ぼくですっ、ども

写真はこの世の者とは思えぬ鬼の形相なので、「バックショット」のみでご容赦のほど、ゴニョゴニョ…

快調に滑り降りていきましたが、中盤の段差部分で足を取られ、衝撃の大クラッシュに見舞われます

あまりの激痛にしばし動けず …フトモモ右上部を強打し、青空のもと、ピクピクしておりました、はい

半泣き状態で立ち上がり、ズボンを下ろしてみたところ、このような状態でございました…


しかも時間の経過と共に、腫れてきております、今日この頃 …歩くとズボンに擦れて、ジンジンする

「できるまでやれば、失敗はない」が口癖の飴玉さんですが、今回ばかりは完全に心を折られました

傷口の状態を見て、さらに痛みが増した気がして、振り返ることなく足早に公園を後にしましたとさ


マジで危ないので、良い子のみんなはマネしないように …それでも飴玉さんは、必ずリベンジしますっ

あまり期待せずに、続編を待て
追伸 : 風呂に入ったら、めちゃくちゃシミそうで怖いですが何か
夢で逢えたら②
2008年04月17日/ ひとりごと

「オメエが一番よく知ってんだろっ」の中にある、「特別な存在」って感じは、彼女に伝わっただろうか
…ぼくはその夜、布団の中でそんなことを思いながら、眠りに落ちていった
なにはともあれ翌日には、ギクシャクした感じもなくなり、いつも通りの彼女がそこにいて、ぼくは安心した
そんな日常も過ぎ去り、3学期の席替え、ぼくの隣の列の3つ手前という、近くて遠い席に、彼女はいた
ぼくは彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めて、一日をやり過ごす毎日 …会話なんて、ずっと減ってしまった
そんなある日、授業終りのざわついた教室で、彼女は不意にぼくの方を振り向き、ぼくを呼んだ、名字で
彼女の表情に何かしらの決意のようなものがあって、ぼくは「今さら名字かよっ」なんてごまかした、何かを
彼女は自分でもビックリしたみたいで、「あっ」と言ってから、照れくさそうに名前でぼくを呼び直した
少しだけ空気が和んで、こちらを振り向く彼女を見ながら、「バ~カ、そんで何?」なんて、ぼくは聞き返した
彼女は、「うん」と言ったきり、何も言わず、ぼくを見ていた、ぼくの目を、ずっと、ずっと、見ていた
ざわついてるはずなのに、ぼくには何も聞こえなかった …ただ、彼女の目を見てたのか、見られてたのか
何か、この場所だけ、時空がずれてしまったような、わからない、彼女の目が、ぼくの目を見てた、ずっと
長い時間が過ぎた気がして、得体の知れない気持ちになって、ぼくは目を逸らした、と思う、よくわからない
何だったんだ、今の …ぼくは考える、わからない、わかるわけがない、とにかくドキドキしていた
この件があってから、ぼくは彼女とうまく話せなくなってしまった …もう戻れない、何かが、決定的に
気持ちばかりが溢れてきて、言葉は失われていく …こんな気持ちを表現する言葉なんて、この世に、ない
そのまま3年生になって、クラスも別々になった …揺るぎないものがあるのに、何もできなかった
ぼくの中で、この部分だけ、時間が止まってる、今も、これからも、ずっと
大人になってから、風の噂で彼女が結婚したことを知った …だけど不思議と、特別な感想はなかった
不意に、彼女は夢に現れる …ぼくは、ずっと待ってたみたいに、「どこ行ってたんだよ」と彼女に言う
彼女は笑ってる、「どこも行ってないよ」なんて、ノッコの声で、中2のままで …だけどぼくは、今のぼく
有無を言わさず、彼女を抱きしめる、あのとき表現したかったのは、これだった、でも、許されなかった
ずっとずっと抱きしめて、彼女の温もりや匂い、感触、そのすべてを、ぼくは感じようとする
長い時間が過ぎて、彼女はそっとぼくを見上げる、ぼくを見つめる、あのときみたいに、ずっと…それから、
「どうしよう、わたしもう、結婚してるんだよ」 …「そんなこと、言わなくても知ってるよっ」 ぼくは、叫ぶ
彼女の頭を押さえて、顔をぼくの胸にうずめ、強く彼女を抱きしめる …その頃ぼくは、これが夢だと知る
それから、ぼくは途方に暮れながら、意識が目覚めていくのを感じている …もう、朝がやって来る、今が
夢で逢えたら
2008年04月15日/ ひとりごと

実は最近ホントに忙しくて、心身共に参ってるんだけど、ぼくはそういう時にだけ、見る夢がある
案の定、限界間近を迎えて、すべてを投げ出したくなった頃に、彼女は夢に現れた
彼女というのは、過去記事で少しだけ触れたことのある、ぼくが中2の頃に好きだった女子のことだ
ショートカットがよく似合う子で、声がレベッカのノッコに似てたけど、顔は夢の中でしか思い出せない
そんでもって、まずは夢の話じゃなくって、思い出話から…
一学期、同じクラスになった彼女は、出席番号順の座席配置で、ぼくの斜め後ろだったと思う
彼女は出会ってすぐに、まるで男友達みたいに、ぼくのことを名字じゃなくて名前で呼ぶようになった
そんなふうに女子に呼ばれたことなんかなかったぼくが、照れて「オメエ、うるせえ、バカ」なんて言うと、
彼女は「おまえこそ、うるせ~」なんて、返す …笑顔で、ノッコの声で
それまで、そんな女子に会ったことがなかった …いま思えば、その時もう、ぼくはヤラレてた、と思う
あんなにも夏休みが早く終わってほしいと願ったことも、あの夏が、最初で最後だったかもしれない
2学期の席替えのクジ引きで奇跡が起こり、彼女はぼくの隣の席になった
ぼくが、「なんだ、オメエかよっ」なんて心にもないことを言うと、彼女は「わたしこそ、おまえかよ」、なんて
そのときも、笑顔で、ノッコの声だった …正直ぼくは、「これ、絶対、運命っ」、と思った
ある日、彼女は「友達が女たらしだって言ってたよ~」と、ぼくに言った …軽い冗談のつもりだったと思う
でもぼくは、「そんなのイチイチ報告する前に、オメエが一番よく知ってんだろっ」と、気づいたらキレてた
彼女は「しまった」という顔をして、黙り込んでしまった …もちろんぼくも、「やっちまった」と思ったけど
「ごめん」という小さな声が聞こえた …そんな表情、初めて見た …謝りたかったけど、できなかった
っていうか、この話、長いね …たぶん次回に続きます
インスタント雑学
2008年04月13日/ 日々の想い
はいっ、友人宅のわんこをムツゴロウさん風に撫でまわしていたところ、あまりのカワイさに夢中になり過ぎて、思わず大粒のヨダレをカーペットに垂らしてしまったときの、友人嫁の冷やかな視線がトラウマ気味な …ぼくですっ、ども

規模の小さい離島では、晩酌の締めのラーメンというのが、なかなか困難なものでございます

まあカップラーメンでお茶を濁すというのが定番なわけですが、今日はちょっとした雑学をご紹介します

断わっておきますが、先日、アホ顔で見てたテレビの情報そのまんまですので、あしからず

まずは写真のような茹でるタイプは、麺が茹であがったところで粉末スープを入れるというのが普通です

ところがそうしますと、麺を茹でる際に、麺に付着した粉が溶け出して、スープに濁りが出てしまいます

なので茹でた麺は湯切りしてお湯を捨て、別のどんぶりに粉末スープを入れて、新しいお湯を注ぎます

そのスープに、湯切りした麺を投入して、できあがり …事前にお湯でどんぶりを温めておくとなおよし

するとスープが澄み渡り、2割程度は旨さがパワーアップするそうです …まだまだ続きますっ
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滝
2008年04月10日/ やさしい哲学

上の絵は、エッシャーという画家の「滝」という有名な作品で、一見何気ない絵に見える

ところがよく見ると、現実にはありえない水の流れが描かれているという、いわゆる「だまし絵」である

だまし絵が魅力を放つのは、私たちの世界認識や言語体系に、潜在的に同じ構造が含まれるからだ

なにはともあれ、まずは、この絵をじっくりと味わってほしいと思います

前回の記事で、「世界が存在することに意味はない」ということを述べたけど、その実感があるだろうか

もし「ない」とすれば、あなたの世界認識は、このだまし絵のようなものなのだと、ぼくは言うだろう

数学者ゲーデルは、世界を(無矛盾な)論理で語ることが不可能であることを、数式で「証明」しました

この「不完全性定理」は、数学のみならず、現代哲学においても最も重要な発見とされています

つまり、世界や私達の存在理由や、宇宙の果て、神などを矛盾せずに語ることは、完全に不可能なのだ

身近な問題でいえば、私達が生きる理由をもっともらしく語るすべては、ウソだということと同義なのです

例えばそれが「信仰」であったり、「あえて」そのように生きるといった振る舞いならば理解できるのだが

先日語った「偽善」にも通じるけど、強迫的に「理由」や「夢」を求めることは、やはり不自然なのだろう

ところが、この偉大な発見をしたゲーデルもまた晩年に、自らの証明を上回る「神の存在証明」に挑む

無謀な挑戦の結果、彼は精神に異常をきたし、餓死というありえない死に様で、その生涯を閉じた

それほどまでに人は、自らの「存在理由」を欲する …これが、「言葉を持つこと」の「呪い」なのだ

親が子を愛することに、理由はない …同じように、わたし達もやがて、言葉のない世界に帰るのだ
お笑いBIG3を語る③
2008年04月07日/ やさしい哲学

タモリは謎の多い男である
…なので、断片的かつ不確実な情報からの文章になります
タモリの最終学歴は早稲田大学西洋哲学科中退で、座有の銘は「世界に厚みを与えないこと」だそうだ

この言い回しは、哲学に素養のある人間からしか出ない言葉で、「厚み」とは「意味」のことだと思われる

つまり意訳するなら、「生きることを過剰に意味づけしないこと」、ということになるだろうか

一説には、彼が小学生の頃に両親が離婚し叔父に預けられ、さらに事故で右目を失明(弱視)したという

そのような体験は、ただちに「なぜ自分だけが…」という問いを呼び寄せ、必然的に哲学的な思考に至る

著書の「坂道美学入門」の序文で、哲学者ハイデガーとキルケゴールを引用した坂道論を展開している

酔っ払って、たまたま飲み屋に同席した哲学者の大学教授に、哲学論議をしかけたとも語っている

また現在も、中沢新一などの哲学者との交流もあり、一緒に対談形式の講演会をしたこともあるくらいだ

そのような「裏」タモリを踏まえてみると、彼の芸風には、たけしやさんまのような脅迫観念が見られない

ただし「世界に意味を与えない」と言い切るのは、世界の意味を「徹底追及」したあとでなければならない

中途半端なニヒリストほどタチの悪いものはない …そこにこそ哲学の、もしくは思考の「闇」があるのだ

実は子供の頃のぼくは、タモリをつまらない男だと思っていたけれど、大人になってその凄さがわかった

もしかしたらタモリという男は、「哲学」と「笑い」というものがもたらす、最終形態なのかもしれない

ちなみに、あるとき笑福亭鶴瓶が「自分やさんまの話の腰を折るのはなぜか」と、真剣にタモリに聞いた

タモリの答えを聞いた鶴瓶は、タモリが君臨する理由を見抜き、「テレビの師匠」として仰いでいるという

「おまえやさんまは、笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると、帯番組はマンネリになる。
だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう」と答え、タモリは予定調和を否定したのだ

ちょっと大袈裟に書いちゃったけど、本当のタモリという人が伝わってくれたらいいなと思います、はい
恋人がサンタクロース (BY松任谷由美)
2008年04月04日/ 日々の想い
はいっ、こちら、大荒れの海に向かってウェットスーツを着たおじいさんが、手漕ぎボートで一人出港していくのを見かける、「お、おい、あれ大丈夫なのか
」沖永良部島よりお届けします
すっかり春になりまして、我が家の狭い庭の雑草も、とうとう膝小僧あたりまで伸びてしまいました
ここに至り腰の重い飴ちゃんも、もう限界だとばかりに草刈り機を使っての伐採作業に挑んだわけです
15分ばかり経過して約半分が終わった頃、ふと見渡すと野鳥が数羽、ぼくのまわりに集まってきました
全く逃げる気配がありませんが、前回の側溝掃除で学習したので、飴ちゃんはもうダマされません
鳥さんたちよ、今日はいったい何が目的かね、くるしゅうない、飴ちゃん怒らんから言ってみるがよいぞ
それでは恒例の、歌の時間に入ります
…あワン
あツー
ワン
ツー
スリー
フォー
飴玉がサンタクロォース
本当はサンタクロォース
ざーあーそおーがーなーくーなあーてぇー

飴玉がサンタクロォース
背の高いサンタクロォース
こーんーちゅーうーおいーしーそおー

あおとがよろしいようで
…おっと今回は、もうちょっとお付き合いください

こちら、沖永良部島最大級のビルヂングでございます
…な、なんと脅威の4階建てっ
このビルの三階右端の窓にズームインしてみますと…
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」沖永良部島よりお届けします
すっかり春になりまして、我が家の狭い庭の雑草も、とうとう膝小僧あたりまで伸びてしまいました

ここに至り腰の重い飴ちゃんも、もう限界だとばかりに草刈り機を使っての伐採作業に挑んだわけです

15分ばかり経過して約半分が終わった頃、ふと見渡すと野鳥が数羽、ぼくのまわりに集まってきました

全く逃げる気配がありませんが、前回の側溝掃除で学習したので、飴ちゃんはもうダマされません

鳥さんたちよ、今日はいったい何が目的かね、くるしゅうない、飴ちゃん怒らんから言ってみるがよいぞ

それでは恒例の、歌の時間に入ります
…あワン
あツー
ワン
ツー
スリー
フォー
飴玉がサンタクロォース
本当はサンタクロォース
ざーあーそおーがーなーくーなあーてぇー

飴玉がサンタクロォース
背の高いサンタクロォース
こーんーちゅーうーおいーしーそおー

あおとがよろしいようで
…おっと今回は、もうちょっとお付き合いください
こちら、沖永良部島最大級のビルヂングでございます
…な、なんと脅威の4階建てっ
このビルの三階右端の窓にズームインしてみますと…
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小説について
2008年04月02日/ ひとりごと
小説という表現は、文字の羅列に過ぎないので、読者の「記憶」から脳内で映像を再現して味わう
実は、これが一番リアルなのだ …だから小説というのは、かなり高度な表現手段で決して侮れない
ところが出版界は、「権威主義」と「下品な読み物」の両極端でブラブラして、真の作家を育てていない
芥川賞なんかは話題性だけが先行し、若くてキレイな人や、バックボーンが面白い人を選んでいる
ぼくはこれを、とても残念に思っている …小説は、世界を変えるツールになりうると思っているから
中でも一番残念なのは、日本に哲学的な世界観を描ききる作家がいないことだ
村上春樹なんかはいつかやってくれると期待してるけど、期待してからかなりの時が過ぎた…

そういう観点でいうと、個人的には「神の子どもたちはみな踊る」が彼の最高傑作ということになるが
そんな難しい話は抜きにして、今日はぼくが好きな小説を、2つ紹介したいと思います

ひとつは桐野夏生の「OUT」で、1997年の作品だけど、最近アメリカのエドガー賞の候補にもなった
ドラマや映画化され、ハリウッドでの映画化も決まったけど、絶対に小説でしか表現できない世界なのだ
「OUT」は本当に、度肝を抜かれるくらいおもしろかった …ぼくのベスト作品である
さすがに女性作家が書いたものなので、女性の心理描写がリアル過ぎるし、ストーリーも完璧だと思う
話は弁当工場で働く主婦たちが、パート仲間が殺した夫の死体をバラバラにして捨てるところで始まる
もともと胸の内に不安と失望を抱えていた彼女たちが、決定的に社会を「OUT」した瞬間である
追われながら出口を探し、各々が交わり合いつつ生きていくストーリーで、読者を引きつけて離さない
結末は賛否両論あるらしいが、ぼくにはこれがベストであるように思われる …とにかくオススメである

もうひとつは、重松清の「半パン・デイズ」で、小学生の6年間を描いた短篇集である
彼は小学生時代の記憶が、おそろしく鮮明なのだろう …その心理描写は、あまりにもリアル過ぎる

読者は、自分の記憶というものを捻じ曲げていることを、思い知らされるだろう
子供時代というのは、記憶ほどには美しいだけの時代ではなく、自分では何も選べない中での葛藤だ
確かなものなど何もなく、大人たちが作った社会に閉じ込められながら、それでも精一杯生きてる時代
もしかしたら人生で最も理不尽な時代なのかもしれないけれど、その輝きが失われることは決してない
泣けてきたり、センチメンタルになったり、ほほ笑んだり、確実にあの頃にタイムスリップできるはずだ
両作品ともに、おそらくどこの図書館にも置いてるはずだし、すでに文庫本になってるから買ってもヨシ
てなわけで今日は、飴玉先生の読書案内でしたあ …みなさんのオススメ本も、ぜひとも教えてね

実は、これが一番リアルなのだ …だから小説というのは、かなり高度な表現手段で決して侮れない

ところが出版界は、「権威主義」と「下品な読み物」の両極端でブラブラして、真の作家を育てていない

芥川賞なんかは話題性だけが先行し、若くてキレイな人や、バックボーンが面白い人を選んでいる

ぼくはこれを、とても残念に思っている …小説は、世界を変えるツールになりうると思っているから

中でも一番残念なのは、日本に哲学的な世界観を描ききる作家がいないことだ

村上春樹なんかはいつかやってくれると期待してるけど、期待してからかなりの時が過ぎた…


そういう観点でいうと、個人的には「神の子どもたちはみな踊る」が彼の最高傑作ということになるが

そんな難しい話は抜きにして、今日はぼくが好きな小説を、2つ紹介したいと思います


ひとつは桐野夏生の「OUT」で、1997年の作品だけど、最近アメリカのエドガー賞の候補にもなった

ドラマや映画化され、ハリウッドでの映画化も決まったけど、絶対に小説でしか表現できない世界なのだ

「OUT」は本当に、度肝を抜かれるくらいおもしろかった …ぼくのベスト作品である

さすがに女性作家が書いたものなので、女性の心理描写がリアル過ぎるし、ストーリーも完璧だと思う

話は弁当工場で働く主婦たちが、パート仲間が殺した夫の死体をバラバラにして捨てるところで始まる

もともと胸の内に不安と失望を抱えていた彼女たちが、決定的に社会を「OUT」した瞬間である

追われながら出口を探し、各々が交わり合いつつ生きていくストーリーで、読者を引きつけて離さない

結末は賛否両論あるらしいが、ぼくにはこれがベストであるように思われる …とにかくオススメである


もうひとつは、重松清の「半パン・デイズ」で、小学生の6年間を描いた短篇集である

彼は小学生時代の記憶が、おそろしく鮮明なのだろう …その心理描写は、あまりにもリアル過ぎる


読者は、自分の記憶というものを捻じ曲げていることを、思い知らされるだろう

子供時代というのは、記憶ほどには美しいだけの時代ではなく、自分では何も選べない中での葛藤だ

確かなものなど何もなく、大人たちが作った社会に閉じ込められながら、それでも精一杯生きてる時代

もしかしたら人生で最も理不尽な時代なのかもしれないけれど、その輝きが失われることは決してない

泣けてきたり、センチメンタルになったり、ほほ笑んだり、確実にあの頃にタイムスリップできるはずだ

両作品ともに、おそらくどこの図書館にも置いてるはずだし、すでに文庫本になってるから買ってもヨシ

てなわけで今日は、飴玉先生の読書案内でしたあ …みなさんのオススメ本も、ぜひとも教えてね





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