最後の「神」②
2007年12月31日/ やさしい哲学
前回は、イエスと仏陀の主張を通して、人間の「言語体系」そのものが、世界認識の障壁となっていることを説明しました

イエスは「神の無条件かつ一方的な愛」を、仏陀は「神を含めた世界の空性」を主張したということです

ところでぼくは、前回の記事中で、イエスと仏陀が根底的な部分で同じことを主張していると書きました

矛盾しているように感じられる2人の主張ですが、ここで問われるのは、イエスと仏陀の「神」の定義です

これを統合する論理として、17世紀の哲学者スピノザが主張した「汎神論」を提示したいと思います

「汎神論」とは、単純にいえば、「神すなわち世界」です

つまり、この宇宙に存在するのは「ただひとつの実体のみ」である、という主張です

その他に存在するかのように見える、すべての個別的な物体及び事象は、同じ「ひとつのもの」からの流出に過ぎないとします

だとすれば、私たち自身も含めた「個別性」というのは単なる見かけ上のものであり、世界の中で名づけられ、実体的に振舞うすべては、「幻想」であるということになります

「汎神論」は、当時のユダヤ教及びキリスト教から非難され、「無神論」として長らく封印されてきました

「神すなわち世界」という主張が「無神論」であるかは、最終的には私たちの認識に委ねられる事柄です

しかし、言語認識の限界領域であるこの言葉は、現代だからこそ再吟味される価値があると考えます

たとえば現代物理学が示すように、物質とはかなり不安定な存在であることが明らかになってきました

身近なところでも、分子生物学は食物連鎖のみならず、世界を構成する物質は互いに入れ代わり、循環していると主張します

また、世界を象徴する「自然」の中に身を置けば、ときに私たちは、自我境界を見失うことがあります

このあたりのことはブログの初期に記しましたので割愛しますが、確固たる精神というものも、実はかなりあいまいなものなのです

この主張を受け入れる見返りなど何もなく、ただ私たち自身が世界そのものである、というだけです

この驚くべき主張には、私たちの存在理由も意味も、何もありません

「私たちが生きていること」そのものを、ただ静かに、ありのままに肯定するのみです

ただし、ここから逆変換してみることで、社会的な事柄は全く別の様相を見せ始めることでしょう

私たちが生まれる前から「世界」はあり、私たちが死んだあとも「世界」はあり続ける…

この当然かつ受け入れがたい真実を、「よろこび」とともに実感するための契機が、ここにあります
最後の「神」
2007年12月30日/ やさしい哲学
このブログの「やさしい哲学」では、7月~8月にかけて哲学の基礎理論を、9月~現在までは実践理論を書き綴ってきました

9月からの記事では、「社会」、「道徳」、「神」、「言語」などを徹底的に解体してきたつもりです

それを通してぼくが伝えたかったのは、「言語」で語られるすべての価値は、正にその言語によって、あらかじめ汚染されているということです

たとえば「正義」という概念は、「悪」という概念から独立して意味を成すことができません

絶対的な「正義」などなく、すべては相対的な価値でしかないことを、始めから露呈しているわけです

「幸せ」という概念は、「不幸」という概念から独立して意味を成すことができません

ならば、絶対的な「幸せ」という概念も、始めから存在していないということです

しかし人類は、そのような「言語体系」の外に出ることができません

その結果、「神」という究極的かつ社会的な「ゴミ箱」を作って、そこにすべてを集約することで、延命を図ってきたのです

ですから仏陀は、「神」は存在せず(仮に存在しても神を含めて)、すべては「空」であると主張しました

独立して永遠に存在するものなど何もなく、すべては縁起によって成立しているとしたのです

またイエスは、キリスト教とイスラム教の原点であるユダヤ教の「神との契約概念」を否定しました

その上で、「神はすでに我々と共にある」、もしくは「神は無条件に人間を愛している」と主張したのです

人間が何もしなくても、「神の一方的かつ無条件な愛」によって、和解を果たしているということです

ハッキリ記しますが、イエスの死による「贖罪」という概念は、本人が主張したのではないとの立場です

こういう社会的な操作が、「神との契約概念」の温存を意図していることを、読み取らねばなりません

ところで、この2人の主張は、根底的な部分で同じことを言っていると、ぼくは考えます

人間の何らかの「正しい」営みが、その人に返ってくるという「御利益主義」を否定したこと…

より本質的に捉えるならば、「正しい」などという、「言語体系」そのものを退けているわけです

明日は、そのあたりを哲学的に解説して、ここ数カ月の締め括りとしたいと思います

どうぞよろしくです~
たまご自動販売機②
2007年12月29日/ 日々の想い
え~、こちら先日紹介しました「うみたてたまご」の自動販売機です

しかしながら、右側の収納がオープンしちゃってるのにお気づきでしょうか

そこで今回は続編といたしまして、この自動販売機のメカニズムに迫ってみちゃおうと思います

まずは機械の裏側でございまして、ここから新鮮極まりない「うみたてたまご」を補充するわけです

あっ、このまえ不必要に盛り上がりました、「うみたて」&「目玉焼き用」のシールの件ですが…

改めて確認してみたところ、ほとんどの扉のシールはもはや識別不能でございました

従いまして、すべてのたまごが「うみたて」であることを、ここで強調しておきたい気持ちでいっぱいです

「長い品物を無理につめ込みますと…」ってこれ卵の自動販売機とちゃうんかいっ

「窓が開きぎみになり、窓が開かなくなります」…開きぎみになってるのに、開かなくなるっていったい…

解決した謎が、新たな謎を呼ぶ…ミステリーという森の奥深くに、我々は足を踏み入れてしまったらしい

あなたは最後まで、眼を背けずにいることができるだろうかっ
それではまた次回、お会いしましょう
果実と猫
2007年12月28日/ 日々の想い
はいっ、今日はいわゆるひとつの、しに暑かった、ここ沖永良部島です

どれくらい暑かったかというと、どうだろ~

さっき脱いだ靴下のニオイから察するに…おおっ、これは…なかなかどうして…ふむふむ…

…25℃だと申しております、はい

そんな今日の真っ昼間、ふと頭上を見上げますに…

なにやらミカン的な果実が、タワワに実っておるのを発見したわけです

ほう、なかなかうまそうではないか…麻呂にも取ってたもれと呟いてみましたが、ぼくはひとりでした

誰もいないのをいいことに、この世の者とは思えぬ形相でジャンプを繰り返し、なんとか果実をゲット

一口含んでみますに、衝撃のしにすっぱさ
…ビタミンC何デシリットル含有やねんっ、ボケコラ~ッ
下記はその一部始終をにゃんこが見ていたの図です、はい
…それでは今日のところはこのへんで
先日アップしたジョン・レノンの「GOD」ですが、youtubeで音源を見つけたので、よかったらどうぞ

アルバム・バージョン
http://video.1st-game.net/youtube/v_DZxoByuASK4.htmlライブ・バージョン
http://video.1st-game.net/youtube/v_U7zqDjfuloA.html 映画と哲学
2007年12月27日/ やさしい哲学
「マトリックス」といえば、元ネタとして押井守のアニメ「攻殻機動隊」が取り上げられることが多いけど…

実は哲学&宗教ネタがふんだんに散りばめられてるんだよ、知ってた

たとえば主人公ネオ(neo)のスペルをイジルとoneになり、選ばれし救世主(キリスト)を指すとか

トリニティという写真左側の女性の名前は、キリスト教で三位一体(父と子と聖霊)を意味するとかね

もちろんストーリーも含めて、まだまだたくさんあるんだけど、ここでは省略

さて今回は、哲学も取り上げられてるんだよ~っていうお話

マトリックスという言葉を「仮想現実」として使い始めたのは、ジャン・ボードリヤールという哲学者なのだ

ちなみに著書の「シミュラークルとシミュレーション」は、実際に劇中にも出てくるよ~(写真参照)

また出演者やスタッフは、監督からこの本を読むように指示されてから撮影に臨んだのであるっ

さらに、パート2以降はアドバイザーに迎え入れようとしたけど、残念ながら断られちゃったよ、はは~

つまり、この哲学書を実写化しようとした試みが、映画「マトリックス」なのである…ビックリした

もうひとつの哲学ネタは、写真の図の「水槽の脳」というお話

これは正に、マトリックスに出てくる「人類養殖システム」の元ネタだと言われてるんだよ~

こちらは1982年に哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された思考実験です

脳が死なないように培養液に浸し、神経細胞に電極をつないで高性能コンピューターに接続する

そうすれば、コンピューターの制御によって、脳だけで仮想現実の世界を体験できるはずだってお話ね

こんな風に、奥深い映画やアニメには、宗教や哲学の世界観を借りてきたものが多いんだよ~
存在意義[解説]
2007年12月26日/ やさしい哲学
人が自らの「存在理由」を知ろうとするなら、自分よりも「大きなもの」にその原因を求めることになります

これは論理的必然で、幼児のうちは、母親に自らの存在理由を求めます

ここで承認を得られなかった人は、その影響を後々まで引きずることになるでしょう

その後、人は成長するに従って、学校生活の中に存在理由を見出そうとするようになります

ここから、人間の「社会化」が始まることになるわけです

学校であれ、実社会であれ、そのメカニズムは本質的に変わりません

これが、私たちの「存在意義」を隠蔽する、「洗脳的な」社会システムです

いわゆるひとつの映画「マトリックス」なのです

浩の論理が圧倒的に浅いのは、このシステムに対する「無自覚」から来ているわけです

つまり、社会の外側に広がる「世界(宇宙)の存在」への思考が遮断されているということです

ブタさんは、浩を「ネオ」のように覚醒させるべく、再三に渡って指摘していたわけです

しかし、ブタさんは「モーフィアス」には成りきれず、逆に社会に取り込まれて物語は終息をむかえます

このブログでは、そこからまだまだ、はるか彼方へと話を進めていこうと思っています

どうぞよろしくです~
存在意義⑤
ちきん
2007年12月24日/ 日々の想い
はい、こちらクリスマス・イブの沖永良部島です、どもっ、メリクリっす

え~、沖縄ではケンタッキー・フライドチキンに長蛇の列ができること受け合いのイブのこの日ですが、
残念ながら我が沖永良部島には、そのようなハイカラなお店はございません

ところがどっこい、ドンウォーリー、ビーハッピー、心配ないぜっ

たしかに我が沖永良部島にはKFCはない…だけど、全国チェーンのHHTがあるじゃないかっ

ん

HHTってなにかって


ほ…ほっかほっか亭…ですがなにか…

HHTのカラアゲ弁当に…長蛇の列が…できてるよ…たぶん…

ところで先日紹介しました、「たまご自販機」の卵が空っぽになっているのは気のせいでしょうか

卵の製造元であるニワトリさんが、2、3羽ばかりこの世から姿を消したとの怪情報が出回っておりますが、
チキンになったかどうかは闇に葬られた模様です

…ジョークなので、また余計なツッコミしないように

それではみなさん、今晩はスリーピンヘブンリーピースな感じでヨロシクゥ


追伸 : しかし写真のカーネルサンタ、ヘンタイおやじにしか見えんじょ
ひまなので…
2007年12月23日/ 日々の想い
え~、くもり空のクリスマス・イブイブですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか

ぼくは思いっきりヒマなので、粘土細工なんぞをやってみました~

はい、一目見てわかりますね、こちら「量産型ザク」試作品一号でございますが、何か

これはいったいなんじゃい

…という方は、こちらに過去記事のプラモデル画像がありますのでご覧くださいませ

〈参照〉
http://candyball.ti-da.net/e1805081.htmlとはいえ、さすがのぼくもこのままでは引き下がれないので…

こちらは試作品二号でございます

中途半端にリアルにできまして…

驚かせるわけでもなく、笑いをとるわけでもない作品に仕上がりました

そんな日曜日の昼下がりでございました~

それではまた、お会いしましょう
存在意義④
たしかなもの③
2007年12月21日/ やさしい哲学
前回はデカルトが、疑えるものすべてを疑った末に、「我思う、ゆえに我あり」こそ、ただひとつの確実なことである、と主張したことを確認しました

デカルトはその後、数学者&科学者としての必然性から、物理世界を取り戻す必要に迫られます

困った困ったデカルトは、「私」と「物」の仲介者として「神」を持ち出し、強引に存在証明しちゃうわけです

その結果、確実なものとしての「思考する私」つまりは「こころ」と、神が作った「物理世界」すなわち「物」を、別々のものであるとする「物心二元論」を主張することになります

これは現代に至る重要なターニングポイントで、後の科学文明の基礎を作ったといってもよいと思います

ちなみにデカルトは、「慣性の法則」や「x軸y軸の座標」などを発見したスゴイ人でもあります

とここまではよかったんだけど、やっぱりここから、強引な「神の存在証明」のツケが回ってくるわけです

「物心二元論」は、人間の「こころ」が歩こうと意図したら、「からだ」が歩きだすことに矛盾が生まれます

痛い所を突かれたデカルトは、再び「こころ」と「からだ」の仲介物質を持ち出し、強引な説明をします

でも前回「神」で逃げ切れたのはキリスト教世界だったからで、さすがに今回はドン引きだったわけです

そしてデカルトは、歴史の表舞台からフェードアウトしていくことになります

同時に「神様問題」も、次世代に引き継がれていくことになります

次回は、「神」についての全く新しい地平を提示した哲学者について語ってみようと思います

どうぞよろしくです~

※注 ところで最近このブログでは、直接間接問わず、「神」について言及することが増えています
しかしこれは、何らかの信仰を持つ人にとっての、神に対する「信仰」を否定するものではありません
むしろぼくは、自らの信仰をとことん吟味することこそ、「本当の」信仰行為であるとすら考えます
GOD
2007年12月20日/ ひとりごと
神なんて
ぼくたちが苦悩の度合いをはかる
観念なのだ
くりかえして言おう
神なんて
ぼくたちが苦悩の度合いをはかる
観念なのだ
ぼくは魔術を信じない
ぼくは占いを信じない
ぼくは聖書を信じない
ぼくはタロット・カードを信じない
ぼくはヒトラーを信じない
ぼくはイエスを信じない
ぼくはケネディを信じない
ぼくは釈迦を信じない
ぼくはマントラを信じない
ぼくはジタを信じない
ぼくはヨガを信じない
ぼくはキングたちを信じない
ぼくはエルヴィスを信じない
ぼくはディランを信じない
ぼくはビートルズを信じない
ぼくは自分だけを信じる
ヨーコとぼくだけを
それが現実なのだ
夢は終わった
ぼくは何を言えばいいのだろう
夢は終わった
昨日までは
ぼくも夢を追っていたけれど
でもぼくはいま生まれ変わった
ウォルラスだったけれど
でもいまぼくはジョンなんだ
だから親愛なる友よ
君たちもがんばろう
夢は終わってしまった
ジョン・レノン1970
存在意義③
2007年12月19日/ やさしい哲学
この4コマまんがは、おおむね、下記のパターンで進行していきます

① 浩が生きる意味がわかったと発言
② 浩がその内容を説明する
③ ブタさんがそれを否定し、解説をする
④ 浩が混乱し、ブタさんがパンをゲット
以下は、3コマ目のブタさんによる否定発言ダイジェスト集です

【続きを読むを】クリックでご覧ください

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う~ん…
2007年12月18日/ 日々の想い
久々にぼくは怒っている…いや違う…戸惑っている…これも違う…あきれている…う~ん…残念である

どれくらい残念かというと、風呂上がりにすぐ、猛烈にうんこがしたくなったときくらい、残念である

なにがそんなに残念かというと、写真の「恋空」という映画である

「今世紀最大のラブストーリー」と銘打たれたこの映画…
まあその時点で、残り90数年という時間軸を全く無視した、ふざけたキャッチコピーなのだが…

そのストーリーを小耳にはさんだのである

以下はいわゆる「ネタバレ」を含むので、同意のうえで、「続きを読む」をクリックしてください
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タマポジ冤罪確定
2007年12月17日/ 日々の想い
先日お伝えしました、いわゆるチンポジ(タマポジ)の調整ミスで、ヒドイ目にあったという記事ですが…

〈参照〉
http://candyball.ti-da.net/e1844620.htmlえ~っ、この度、冤罪(えんざい)が確定いたしましたので、報告させていただきます

上記の写真はウェットスーツの上半身であります

なにやらタヌキの尻尾のようなものが、腰から伸びているのがおわかりでしょうか

このタヌキの尻尾を、上記のように、マタグラでローリングして着用することになっておるわけです

あまり詳しくありませんが、ウェットスーツの密着を図るために付いているのでしょう

しかしこの機能によって、ぼくの大事なものをソフトにコーティングしてくれればよかったのですが、
現実はかなりウルトラ・ハードにコーティングされていたという、ありえない悲劇が起こっていたわけです

この「ちびくろさんぼ」の双子みたいな金具、まったく調整ができません…

製造メーカーに断固抗議したい気持ちを抑えて、必死に引っ張ってみましたが、全く伸びません…

ぼくと致しましては、二度と「ちびくろさんぼ」をマタグラでローリングさせることはない所存でございます

従いまして今後、ビーチでタヌキの尻尾をぶら下げているヤツがいたら、それは間違いなくぼくです
目的論と機械論
2007年12月16日/ やさしい哲学
このところ2日間、4コマまんがを掲載しましたが、いかがだったでしょうか

今日はこのまんがの解説を、自分なりに語ってみようと思います

まず浩(人間)は、自分は何のために生きているのかと、自問自答しています

このように、世界は何らかの目的のためにあるとする見方を、「目的論的世界観」といいます

これは、現代社会を覆っている考え方ですね

ブタさんの方は、世界にはただ、その秩序を成り立たせている仕組みがあるだけだ、と主張しています

このような、世界には目的などないとする見方を、「機械論的世界観」といいます

まずは、ここまでOKでしょうか

ブタさんの言葉に浩が沈黙するのは、目的があるとする世界観そのものを揺るがされているからです

さて、目的論的世界観を突き詰めると、人間を「役に立つかどうか」というものさしで測ることになります

まあ学校や企業や家族など、いわゆる社会生活というものは、すべてこの基準が採用されるわけです

では…たとえば、あなたの子供が、重度の障害児として生まれたとします

そのときあなたの周囲の人々は、「あなたの子にも、なんらかの役割があるはずだ」とか、極端にいえば、
「こういう子はみんなの心に愛を芽生えさせてくれるのだから、社会の中で大きな役割を持っているんだ」
などと、あなたをなぐさめるかもしれません

だけれどもそんな言葉を、たとえ善意から出た言葉だとしても、あなたは心から受け入れるだろうか…

かつてナチズム(ヒトラー)の支配下で、多くの障害者たちが「安楽死」と称してひそかに殺害されました

ナチズムのイデオロギーはこうです

「障害者の生には価値がない。そのうえ、生物学的『退化』は、ドイツ民族に脅威と衰退をもたらす」
さてここで、ぼくはいまいちど、問いなおしたいと思います

たとえ健康な肉体と精神に生まれたとしても、目的がなければ、ぼくたちの生は無意味なのでしょうか
存在意義②
存在意義
たまご自動販売機
2007年12月13日/ 日々の想い
こちら、とっても珍しい「うみたてたまご」の自動販売機でございます

相当使い込んでありますけど、たぶん現役だと思われます

よく見るとガラスが割れてたり、扉ごとなくなってたりしますけど…

コインロッカー方式になっておりまして、お金(¥200)を投入しますと扉が開くのでしょう

すべて推測で書いてるのは、ぼくが実際に買ったことがないからでございます、はい

ちなみに扉には、それぞれ「うみたて」とか「目玉焼き用」とか書いてあります

以上でレポートを終わらせていただきますが、何か問題でも
密室ミステリー
2007年12月12日/ 日々の想い
怪事件が起きたのは、昨夜のことである

毎晩にように台所を騒がす音を聞いていたぼくは、ネズミが現れたに違いないとの確信に至った

久々に、ヤツが来たのか…しかし、そんなことで慌てるぼくではない、フフッ

落ち着き払ってネズミ捕りを台所にセットし、のんびりとテレビなんぞを見ていたのである

無論、暮らしのデパート伊集院のネズミ捕りと、Aコープの特売トリ胸肉のゴールデンコンビである

そのとき、あっさりと「ガシャン」というネズミ捕りの扉が閉まる音が、台所から響き渡った

ぼくはニヤリと薄笑いを浮かべ台所に向かうと、なんとネズミ捕りの中には何もいなかったのであるっ

しかし不思議なことに、トリ胸肉はブラブラと揺れていた…

なんということだ…まさかトリ肉を食べてから扉が閉まるまでの一瞬に、ネズミは脱出したというのか

いや、そんなことはありえない…瞬間移動でもしない限り、そんな芸当は不可能だ

一体どういうことだ…無敵を誇ったこのゴールデンコンビ(略してGC)が敗れる日が来ようとは…

呆然としながらタバコを吹かしていると、まだゴソゴソ音がする

間違いない…ヤツは必ずいる…あきらめるな、もう一度チャレンジだ…

と思ったら、目の前でシンジラレナ~イ(やや古い)光景が繰り広げられたのである

小さな赤ちゃんネズミ2匹が、ネズミ捕りの金網をあっさりすり抜けて、食事を楽しんでいましたとさ

出入り自由の単なる飼育状態なのでした~、チャンチャンッ

こうなったら、大きくなるまで育ててから捕まえるか~

タリラリラ~ン




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