メルロ=ポンティについて(その2)

2007年08月31日/ やさしい哲学




これまで「やさしい哲学」では、さまざまな「常識」ともいえる事柄を疑い、検証してきました本
そして前回、純粋な世界認識にとって最後の壁になるのは、「身体感覚」であることを確認しました電球
今回は、「身体に立ちかえること」を語ってみようと思います鉛筆

わたしたちの一般的な理解としては、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを備えたこの肉体全体が、世界と接触する境界である、と認識されていると思いますグー
つまり、皮膚を境界とした肉体が自己である、という認識ですピース

ここで、感覚器官の中で最も重要だと思われる視覚が奪われた状態を想定してみますパンダ
目の不自由なひとは、杖を持ち、主にその杖の感触によって進行方向の安全を確認します筆
これは、視覚の代用として触覚を用いていることになりますダッシュ

重要なのは、手(皮膚)で触って情報を認識しているのではない、ということですパー
だとすれば、身体感覚は杖の先にまで拡張しているといえるでしょう☆
いいかえれば、杖の先までが「手」である、ということですパー筆

このような例は、身体の不自由なひとに限ったことではありませんおすまし

自動車(自転車)を運転しているときに、わたしたちは道路の幅と車幅をとくに比較することもなく、狭い道を通りぬけることができます車
また、タイヤから伝わる振動を感じとり、路面状況を認識していますsos
直進時のハンドル操作は、車体のブレを意識することなく、無意識のうちになされているはずです若葉マーク

このときも、身体図式は自動車(自転車)全体にまで拡張され、組み替えられていることになりますびっくり!
これは、自動車(自転車)そのものが自己の身体である、といいかえることができないでしょうかダッシュ車
ピアニストやキーボードのブラインドタッチなども同様ですパソコン

もちろん道具は手放すことができますから、恒常的に感覚が維持するわけではありませんが、意味論的には理解可能であると思います晴れ
逆にいえば、内臓が休まずに機能していることを意識しているひとはいないでしょうから、身体感覚はかなりるルーズなものなのだといえるでしょうタラ~
このことは、自己と世界の境界、もしくは世界認識そのものにとって、重要な鍵になります鍵

ならば、このような身体感覚の拡張は、果たしてどこまで可能なのでしょうかはてな


次回に続きま~すシーサーオス

  

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のらにゃんこのうた

2007年08月30日/ 日々の想い




                  庭でメジロが鳴いてるよ~音符オレンジ
                             蝶々もひらひらとんでるよ~花

                  …あわてな~い、あわてない…キラキラ 
                             …ひとやすみ、ひとやすみ…眠る

                  息が吸える~…息が吐ける~…ぶーん
                         …気持ちがよくて~…たまらん~…晴れ

                  ああ~、すばらしきこの世界~…ハート
  

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メルロ=ポンティについて(その1)

2007年08月29日/ やさしい哲学



親が子どもをかわいいと思うのは、「自分に似たところがあるから」ではなくて、まして「他の子どもより姿形がいいから」でもなくて、端的に「自分の子供だから」かわいいのですニコ

それ以外に理由はないし、それ以外の理由を求める必要もありませんシーサーメス

逆に子どもの立場からすれば、自分が親にかわいがられる理由が、「親子だから」安心できるのであって、他のもっともらしい理由が出てきたとき、子どもの安心は奪われますsos

そのような親子関係が根底にない限り、これは愛ではない、ということを子どもは明確に認識していますギザギザ
高度にも思えるこの認識が子どもに可能になるのは、言葉よりも『肉体が先にあるもの』だからですキラキラ 
ですから言葉の理解力がなくても、「愛」を認識することは、ちっとも難しいことではありませんニコニコ

ここで何よりも肝心なのは、言葉と人間は同時に生まれたのではなくて、人間の肉体が言葉よりも『先に生まれた』ことですダッシュ

つまり、この世界は思考の結果によって「ある」のではないということです沖縄本島
この世界があるのは、世界にあるものが「見えて」、世界で鳴っている音が「聞こえる」からです晴れ

(意識して)見るのではなく…(ただ)見える…キョロキョロ
(意識して)聞くのではなく…(ただ)聞こえる…音符オレンジ

ここから、「言葉」より微差で「先行する肉体」があり、さらに「肉体」よりも微差で「先行する世界」があることを洞察しなければなりません左
ラカン編で確認したように、人間は統合された「わたし」として生まれたのではありませんニコ
「拡散した感覚」として世界に投げ出された状態で、生きることをはじめたのです花火

「わたしが生まれるまえから世界はあり、わたしが死んだあとも世界はありつづける」
このこと全体を経験する契機が、今、ここからはじまります鍵


次回に続きま~すシーサーオス  

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メルロ=ポンティについて(人物)

2007年08月28日/ 人物



ぼくは、これから始まる「メルロ=ポンティ編」をとおして、どうしても伝えたいことがありますおすまし
たとえ伝わらなかったとしても、どうしても伝えたいことがありますヒミツ
みなさんへの、つたないラブレターのつもりで書いてみますメール
どうか、最後まで読んでみてくださいハート

それに先立って、今回はメルロ=ポンティを紹介しますシーサーオス


モーリス・メルロ=ポンティ(1908~1961年)

フランスの哲学者で、フッサール、ハイデガーによる現象学を継承し、新しい存在論の構築を試みました。
その哲学は、身体性や知覚にさかのぼり、自己と対象の認識を、限界まで掘り下げました。

従来の「言語が習得されている」次元からの哲学に、厳しい指摘をしたといえます。
多くの哲学を超える試みがみられ、異文化理解や芸術、看護学などにも、大きな影響を与えました。

主著「知覚の現象学」を経て、大著「見えるものと見えないもの」を執筆中に冠状動脈血栓のため、自宅で急逝しました。


その死によって中断してしまった「見えるものと見えないもの」ですが、草稿は残されていました本
そのメモや下書きには、決定的に重要な記述が残されていたのです炎

それでは次回から、「メルロ=ポンティ編」をはじめますキラキラ   

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とろとろり~ん

2007年08月27日/ 日々の想い



昨日は沖永良部漁協で、みへでぃろ市がありましたニコニコ

地元漁師さんの直売なので、安くて新鮮、お魚さんカーニバル&フェスティバルだじょ~びっくり
あっ、魚だけじゃなくって超ドデカ伊勢海老さまもいらっしゃいましたっびっくり!
思いっきり動いてました…デカイ…ちょっとこわい…ぐすん

ひとまわりして、キハダマグロの切り身を購入さかな
そして、写真のような晩御飯になったわけです…寿司だあああああ~びっくり!!
そしてひとくち…はああああ~ぅううんまぁあああ~ぅいいいうわーん
とろけた…くちんなかで…きえた…ぶーん
まさにお魚界の、特選霜降り牛フィレステーキや~(彦磨呂風)

エラブのみなさま、みへでぃろ市、おすすめですハート
っていうか、ぼくがいままで釣ってきた魚っていったい…クマノミ
ダイエット中の方にも、寿司はカロリーが低いって聞いたことあるじょダッシュ

なによりも、地元の食材を地元で食べるって、すばらしいですよねおすまし  

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ハイデガーについて(人物)

2007年08月27日/ 人物



今回は、ハイデガーを紹介しようと思いますニコ


マルティン・ハイデガー(1889~1976年)

ドイツの哲学者で、20世紀最大、また難解な思想家として有名です。
ハイデガーの哲学とは、「存在論」につきます。
主著「存在と時間」において、存在という単純かつ壮大な問いを、徹底的に解明しようと試みました。

その難解な主張は、初期ナチスドイツ(ヒトラー)の曲解を受けて、政治利用されてしまいます。
ハイデガー自身も当初は協力的な姿勢を示したため、第2次世界大戦後には公職を追放されました(後に復帰)。
しかし現在にいたるまで、少なからぬユダヤ系思想家がハイデガーの思想に共感を示し、その重要性を認めています。

ナチスとの決別後は、過去の哲学の再解釈や、芸術論を展開しました。
哲学のみならず幅広い分野に、今なお多大な影響力を持ち続けています。


ハイデガーの著書は…ハッキリ言って理解不能ですがーん
あえて言えば…拷問ですうわーん
しかし近年でてきた文書によれば、あえて難解な記述をすることによって、読者の自発的な思考を促したことを示唆しているそうです本
確かにぼくも、自分で考えることを放棄して、何らかの思想をうのみにすることは、極めて危険なことだと思いますムカッ
このブログ(やさしい哲学)を通して、読んでくれたひとと、一緒に考えていけたらいいなって思ってますシーサーオス  

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ハイデガーについて(まとめ)

2007年08月26日/ やさしい哲学



              あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、
              存在の声によって呼びかけられ、
              <存在者が存在する>という驚異のなかの驚異を経験するのである


前回考察したように、論理的には、宇宙の片隅で人類が生命の歴史をきざむということは、「絶対にありえないこと」ですびっくり!
しかし、まぎれもなく現に事実として、あるはずのない多種多様な事物事象が、今ここにありますグー

絶対にありえないこと、あるはずのないことの実現、それは、「奇跡」とよぶことをゆるされるでしょうキラキラ 
だとすれば、なにかが当たり前のようにように存在することそのものが、逆説的に、極度に稀有で、奇跡的なことなのだという、論理的な結論になります鍵

だからといって、存在の「無根拠性」や根本的な不可解さを、解消するわけではまったくありませんガイコツ
ですから、存在の不安やニヒリズムを否定しているのではありませんガ-ン
むしろ、(受動的でなく)積極的なニヒリズムこそが、そのまま存在の奇跡の論拠になります日の出
つまり、存在が無根拠であればこそ、端的に、存在は神秘なのです☆

そうであるならば、このように(今ここで)、さまざまなものごとや人々と、「共にあること」のありえなさにも思いいたることでしょうエイサー
誰しもが、親に頼んで生まれたわけではありませんふたば
たまたま生まれたに過ぎませんニコ
道端の雑草も、空飛ぶ蝶々も、事情は同じですよつば

にもかかわらず、現に、あるはずも、出会うはずもないものどうしが、時と場所を、ともにしていますハート
それは、言葉の真の意味において、奇跡のめぐりあいではないでしょうか…キラキラ 
ここにいたり、「なぜ存在するのか」へのあの暗い疑念や不安など吹き飛んで、端的に「存在すること」や「ともにあること」への驚嘆の想いが、静かにあふれてこないだろうか…おすまし

わたしたちは本来、生きることに理由など必要とはしていないのです♪赤
世界のなかで存在そのものと戯れること、存在を味わいつくすこと、それが存在の輝きであり、すべてなのですニコニコ


これで、ハイデガー編を終わります本
さて、これまで1か月でラカン、カント、ニーチェ、ハイデガーと進めてきました鉛筆
読んでくださったみなさん、いかがでしたかはてな
よろこんでくださる方が1人でもいらっしゃったなら、ぼくはうれしいですハート

ここから先は、いよいよ、ぼくが本当に伝えたかったことを書き進めていきます炎
どうぞお楽しみに~シーサーオス  

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ハイデガーについて(その2)

2007年08月25日/ やさしい哲学



             驚き・不思議とはほかでもない
             この世界が、ぼくたちのまわりに開かれ、立ち起こっていること
             なにか在るものが在り、なんにもないのではないこと
             物があり、その物のさなかに、ぼくたち自身が存在しているということ


ハイデガーが主張したことは、たったこれだけのことですびっくり!
前回、「存在」には根拠がない、ということを述べました錠
逆にいえば、「存在」以外のものには、さしあたっての根拠が存在します鍵
これは論理的な思考が可能で、(現在解明されているかは別として)答えが存在するという意味です電球
しかし「存在」だけは、いかなる根拠もありえませんパー

根拠があるということは、そのことになんらかの「必然性」があることを意味しますグー
もし仮に、必然的な理由や目的があって、何かがこの世に誕生したのなら、それがあるのは当然なことになりますニコ
例えばもしあなたが、しかるべき理由や使命をおびてこの世に生まれたのだとしたら、あなたがこうして存在しているのは当然のことですピース
むしろ存在しないことのほうが、理屈としてはおかしくなるでしょうぶーん
ですからわたしたちは、ものごとの理由を探し、それが必然的かつ運命的であると理解することで、精神の安定を図りますおすまし
この健全かつ強固な習慣が、世界をありのままに見ることを妨げるのです注意

しかし幸か不幸か、そんな必然性が原理的にない、というのが「存在の無根拠性」ですがーん
「存在」以外のすべてに根拠があるのだとすれば、「存在」はまったく「偶然」に起こったことになります☆
「偶然」に起こったことであるならば、「宇宙がある」なんていうことは、論理的には異様なことであり、「ない」ほうが論理的に無理がない、ということになりますギザギザ

わたしたちは、通常、自分や周りの世界の存在を、当然のこととして生きていますキョロキョロ
しかし、「存在の無根拠性」を前提とするならば、当たり前なのは「非在」、すなわち「無」のほうだとはいえないでしょうかはてな
実は、わたしたちが存在していることそのものが、驚きであり、不思議なことなのですびっくり


次回に続きま~すシーサーオス  

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よだかの星

2007年08月24日/ 日々の想い



この写真、羽ばたく鳥に見えませんか~音符オレンジ
ぼく自身はこのとき、宮沢賢治の「よだかの星」という短い童話を思い出しました本
「よだか」っていうのは、実にみにくい鳥なんだそうですタラ~
思い出したのはこのシーンです電球

よだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。

宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」や、ぼくの学生時代の教科書に載っていた、「永訣の朝」とか「雨ニモマケズ」なんかが有名ですよね☆
でも実は「よだかの星」も、載せている教科書があるくらいの名作なんですキラキラ 
ただ「よだか」というのは、江戸時代の売春婦を指す名称なので、現在の教科書ではNGかもしれませんsos
下記に全文掲載されていますので、興味があったら読んでみてくださいねキョロキョロ

http://why.kenji.ne.jp/douwa/17yodaka.html

そういえば、沖永良部島にも児童文学作家の方が移住なさってましたよね飛行機
こんど読んでみよ~っとおすまし  

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ハイデガーについて(その1)

2007年08月23日/ やさしい哲学



今回から20世紀最大の哲学者として名高い、ハイデガー編に入りますピース

哲学にとって決定的に重要なのは、「宇宙の存在には根拠がない」、ということです錠
ここではっきりと明示しておきますが、万物の存在には、根拠も理由もありませんびっくり
もし自然法則を存在の理由にする人がいたなら、ではその自然法則はなぜ存在するのか、と問うことになりますパー
その人がもっと根本的な自然法則にその理由を求めるならば、その根本的な自然法則はなぜ存在するのか、とさらに問うことになりますパー
また、もし神の意志にその根拠を求める人がいたなら、ではその神はなぜ存在するのか、と問うことになりますパー
紀元前から記録が残る問いですが、21世紀を生きるわたしたちも、この問いの外には出られないことがわかると思います注意
なぜなら、最後の最後に、まるで指の間からすり抜けるように、答えがなくなるからですがーん

だけれども、なぜか、ほんとうになぜか、根拠はなくても、森羅万象は現にこのように、ほら、ありますグー
それらすべてが夢まぼろしだったとしても、その夢まぼろしは、やはり、ないのではなく、あるのですグー

人間には存在の根拠がわからない、と言っているのではありません錠
ほんとうは根拠があるのかもしれないけれど、我々にはわからないのだ、と言っているのでもありません錠
そうではなく、それは、ないのですびっくり!!
なぜなら、もし根拠があるなら、その根拠は存在するのだから、さらにその存在の根拠が問われ、どこかで必ず、なぜか、「ただある」、という地点にいたらざるをえないからですキョロキョロ


かなり執拗に、「存在の無根拠性」について書いちゃいました…すみませんぐすん
だけれども、ここを腹の底から納得していただかないと、先には進めないのです…ダッシュ
このブログの「やさしい哲学」は、夏休みとともに終わりを迎える予定で書き進めてきました鉛筆

ここまでつきあってくださったみなさま、どうもありがとうございますハート

どうかもう少しだけ、いっしょに考えながら、おつきあいいただけたらと思います炎
どうぞよろしくです~シーサーオス  

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いぬとねこ

2007年08月22日/ ひとりごと



ちょっと今日は、自分へのメモ的な感じで、ひとりごとを書いてみます鉛筆
さらっと聞き流してやってくださいねぶーん

野生動物が死ぬときって、たぶんきっと、しら~っと死ぬんじゃないかと思うんです眠っzzz
しら~っていうのは、あきらめてるわけじゃないんだけど、ジタバタしないというか、いたって普通というかパンダ

だけど、ペットとして人間と暮らしている動物(とりわけ犬や猫)って、しら~と死ねないんじゃないかなあシーサーメス
なんでかっつ~と、ペットたちは人間と生活を共にするうちに、人間的な感情や言葉をインストールしちゃうんじゃないかと思うんです僕ボクサー
やつら、ちょっと人間になってるんじゃないかと…若葉マーク

もしこの仮説が本当だとすると、病気になったり死んでいくということに、ペットは悲しいとかさみしいとか、そんな思いを抱いていることになるわけで…ぐすん
人間社会に組み込まれることで、自然界ではありえない「こころ」が芽生えるっていうか…ベー
だとしたら、まあ当たり前のことなんだけど、本気で彼ら彼女らに向き合わないといけないんじゃないかなあ、なんてハート
ぶっちゃけ捨てるなんてことは絶対にゆるされないんじゃないかと、まあ、そんなことを思ったわけです晴れ

動物の人間化というのが、そもそも正しいことなのかはわからないけど、これはもう100パーセント人間の側の責任であることに自覚的であってほしい、っていうのかなムカッ
もしかしたら、おばあちゃんが孫に向けるくらいの目線が適度なんじゃないかなあ、なんてニコ

以上、ひとりごとでしたあおすまし  

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ストライプ

2007年08月21日/ 日々の想い



言わずと知れたオカヤドカリくんですキョロキョロ
でも彼は、ただのヤドカリじゃありません♪赤

このファッションセンス…断じてあなどれませんタラ~
数ある貝の中から選び抜かれたこの一品…う~む、かなり斬新なデザインですキラキラ 

ねえ、彼ったらチョ~イケメンじゃない!?(ヤドカリ事務員・談)
もお~、今晩カラオケセッティングしなさいよ~(ヤドカリ事務員B・クネクネ)

あの若造、なかなかやりおるわい(ヤドカリ部長・談)
これでわが社も安泰ですなっ(ヤドカリ課長・ゴマスリ)

え~っと、何の話でしたっけ…決してネタ切れで適当なことを書いてる訳じゃありませんうわーん
深夜のテンションで書いてるわけでもありません…パンダ

それでは、また逢いましょうパー




勇気を出してアップ、そりゃっヒミツ  

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龍神

2007年08月20日/ 日々の想い




この写真、最近のお気に入りのショットですキラキラ 
おっきい龍と、その内側にちっちゃい龍が見えませんはてな
まあ、見えたからってどうってことはないんですけどね…ハブ

ぼくは沖永良部島の空が大好きです晴れ

たぶん島全体の大地が平坦だからだと思うんだけど、あまりにも空が広いです☆
風を感じながらバイクを走らせていると、自分自身が空に溶けていくような、そんな感覚に襲われますヒミツ


ちょっとカッコつけすぎだじょ~上

  

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大感動っ!!

2007年08月19日/ 日々の想い



いよいよ昨日から始まった、和泊町港祭りです青かりゆしウェア
初日のイチ押しイベントはズバリ、相撲大会ですっパー

笠石ドームに入りきらない程のギャラリーから、大きなどよめきが何度も起こってましたびっくり!
これ、ヘタなプロ格闘技イベントよりはるかに熱いッス、いやマジで炎
ぼくは小学校低学年の試合を見たんだけど、彼らなりのプライドを賭けて戦う姿は、もうたまらんのですぐすん

2年生のトーナメントは、服の上からマワシを着けた女の子が、どよめきの中あれよあれよと勝ち進んでいきますグー
そして準決勝、ズバ抜けた体格を誇る男の子に一歩も引かず、土俵際で大逆転っびっくり
最高潮の盛り上がりの中、決勝戦も素早い動きで押し出しましたびっくり!!

本当に、見る者すべてに勇気を与える戦いぶりでしたキラキラ 
オレはいまぁ…モォォォレツに感動しているうううう~うわーん
…いや~、サインもらおうかと思ったよ、マジで鉛筆

今日は、海上競技や花火大会が行われます花火
とっても楽しみ~三線  

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ニーチェについて(まとめ)

2007年08月18日/ やさしい哲学



つたない幼児が、不治の病に冒されていたとしますふたば
両親は嘆き悲しみ、我が子の人生の圧倒的な無意味さに打ちひしがれることでしょうがーん
しかし当の幼児は、苦しみや痛みの表情を浮かべ泣き叫んでいようとも、決して人生を否定したりはしないでしょうぐすん
あるがままの人生を、当然のこととして受け入れ、あるがままに死んでいきますダッシュ
大好物を口に運びながら、もしくは大好きなおもちゃを握りしめたまま眠りに落ちてしまうときと、寸分たがわぬ生きざまを、病に冒された幼児は我々に見せつけるはずですソフトクリーム

このような、ある種の「爽やかさ」や「潔さ」は、一体どこからくるのでしょうか…日の出

それは、幼児が言語(意味)を持たないことによる、この一点に尽きますニコ
存在するすべてが肯定されるのは、何らかの価値基準によって肯定されるからではありませんOK
そんな価値基準がないことによってこそ、それらは端的に(比較以前に)肯定されるのですニコニコ
意味づけと価値による汚染から免れることによって、はじめて、現にそうであることそれ自体、むき出しの事実性が、それ自体で輝き出すのですキラキラ 

ニーチェの思想は、目的なき日々の無意味な繰り返しのうちで、「世界」と一体になって遊ぶ子供の、現在の肯定感そのもののうちに自ずと示されるほかはありません沖縄本島

「社会」から見れば、束の間のこの生は(その内部にさまざまな喜びや悲しみがあるにせよ)、それ自体としては儚く、空しいものに過ぎないでしょうサクラ
しかし、そのことを嘆いて、生に外部からの意味を与えるべきではありません錠
人生の無意味さと空しさから目を背けないこと、それがそのまますべての肯定へといたる道なのだと、ニーチェは主張しています鍵


これで、ニーチェ編を終わりますタラ~
今日から和泊町はお祭りですね青かりゆしウェア
祭りというのは本来、「社会」を一時的に離れるための儀式でもあります三線
子供に返って楽しみましょ~♪赤  

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ニーチェについて(その4)

2007年08月17日/ やさしい哲学




ニーチェは、直接的な自己評価こそを究極的な価値基準と考える、という視点を提唱しましたグー
それ以前の社会(道徳)に従属する存在を「駱駝(らくだ)」と呼び、自己評価に目覚めた存在を「獅子」と呼びましたシーサーオス
獅子とはすなわち、「おのれの理想をすべての人の理想に対抗して貫徹する強者」を指します僕ボクサー

社会を否定し、言語をも否定したニーチェは、一切の妥協を許さない思索の果てに、根本的な矛盾にいたりますsos
それは、そもそも「私たちが自由意志を持つ」という考え自体が錯覚なのではないか、という疑念ですギザギザ
その疑念はやがて、「意識」や「主体」、そして「自我」にまで及びますガイコツ

私たちが「意志」と呼んでいるものは、気づいたときには既に、「意志」として(本人に)認識されていますムカッ
だとすればそれは、おのずと湧き起こってくるものに過ぎず、意志とは呼べませんびっくり!
それは、(自らが主体的に)起こすものではなく、(自らに受動的に)起こるものなのです炎

さらに私たちの日常は、ほとんど「無意識」的に営まれており、「意識」的に行動しているときには、逆にぎこちない不完全なものとなってしまいますダッシュ
最終的には「主体」や「自我」についても、「社会」的な他者との関係における必要性から、「言語」によって捏造されたものに過ぎない、という結論にいたります…雷

…では、それらすべてが排除された世界とは、一体どんな世界なのでしょうか…はてな

そこには世界を解釈しようとするものは、もはや存在しませんぶーん
意味づける存在の否定…そこに存在できるものは、「無垢なる子供」のみに他なりませんニコ
ニーチェはそれを、「遊ぶ子供の聖なる肯定」と呼びましたキラキラ 
駱駝の「汝なすべし」から獅子の「われ欲す」に次ぐ、無垢な子供の段階が「われ在り」と表現されますニコニコ


今回は少し難しかったでしょうか…すみません…ガ-ン
次回は「遊ぶ子供の聖なる肯定」を解説して、ニーチェ編のまとめとしたいと思います鉛筆
どうぞよろしくです~本

  
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地球と遊ぶ

2007年08月16日/ 日々の想い



昨日くらいからようやく、夏・復活!の沖永良部島です晴れ
ピークから1日遅れでペルセウス流星群を見て、そのまま朝日を拝みに行きました☆
う~ん、チョ~久し振りなこの感じヒミツ
どんな感じかって?…ヘイヘイ、聞くだけ野暮だぜハニーキラキラ 

…まあ、誰も聞いちゃいないわけですが、ついでに釣りにも行ってきたじょ~さかな
たぶんアカハタだじょ~(@白浜港)
煮つけにしたらギョギョウマッびっくり!

今日は海で泳ぎまくる予定だよ~シュノーケル  

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陸戦型仕様②

2007年08月15日/ 日々の想い



昨日の写真…ゴリゴリの男子には意外と好評だったみたいですうシーサーオス
なので、正面バージョンもアップしておきますですチョキ
ゴリゴリの女子も、もしいらしたらどうぞハート

ちなみに、ニーチェについて(その3)もアップしたので、こちらもマニアの方々よろしくです~パー
っていうか、どっちかっていうとこっちがメインコンテンツなんですけど…うわーん  

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ニーチェについて(その3)

2007年08月14日/ やさしい哲学



                            「ニーチェ語録」

        人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作に過ぎぬのか


※注  引き続き、ニーチェについて(その1)の【※注】を参照の上、「続きを読む」をクリックして下さるよう、
     お願い致します。  
続きを読む

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陸戦型仕様!?

2007年08月14日/ 日々の想い



これ、何だかわかりますかはてな
そうです、和泊港の荷役作業なんかでよく見かける、フォークリフトです食事

なんですが、普通は黄色っぽい色ですよねおすまし
この写真は、大山基地で撮影したものです(ナンバーはNGなので見切れてます)飛行機

ぼくのイメージでは、戦車とかの色(保護色?)なんですけどね爆弾
所属の車両は、すべてこの色で統一されてるみたいです旗

唐突ですが…
若干テンション上がりませんはてなはてなはてな

ねえねえ、男子のみなさ~んパー

まあ、女性はドン引きなわけですが…がーん

しかも男子もそれほどのリアクションではないわけですが…うわーん
「あ…そうだね…うん」…沈黙…眠る  

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